ART YARD Informer二号の表紙を飾ったポーランドのテクノ集団、Gameboyzz Orchestra
Project。任天堂をこよなく愛する彼らのバイオを通じ、日本ではあまり知られていないポーランドのミュージックシーンについて知ることができた。
●あなたたちはGameboyzz Orchestra Project以前には音楽活動をしていましたか?
パウエル:
やっていたね。得に僕とヤレックとマリウズは。当時もそうだし、今でもロック、エレクトロニカ、時々ジャズっぽい音楽プロジェクトに参加しているよ。僕はずっと前から音楽、あるいは音だけでなにかを作ろうとしていた。始めて使った電気楽器は家電製品(テレビ、チューナー)のパーツを利用して自分で作ったんだ。その後はアミガとかの古いパソコンでプログラミングに挑戦してみた。ギターも弾いていたよ。下手くそだったけどね。いつもじゃないけど、ギターで習った音楽論は今でも役に立つんだ。若い頃はいくつかのバンド(主にパンク系)に入っていた。でも結構すぐそこからエレクトロニカのほうにいって、テレビやファッションショーやメディア業界のための音楽をプロデュースし始めた。長い間僕はスタジオに引きこもって働いていたが、GBZZのライブのおかげでまたショウビジネスに入っちゃったよ(笑)
トメック:
高校時代僕はガレージバンドでベースを弾いていた。他にはドラム、ギターとボーカルのやつがいて、シンプルな構成でヘビーなガレージ音楽を作っていた。あれは2ヶ月しか存在しなかったバンドで、一回学校の演奏会に参加しただけだけど。
●メンバーが知り合ったいきさつを教えて下さい。
ヤレック (リーダー):
このプロジェクトは最初はヴロツワフのIntn’l Media Art Biennale WRO 01*に 出したジョークみたいなもんで始まったんだ。友だちや家族を誘ってGBZZとしてWRO 01で盛り上がったんだ。そして何年か前僕は故郷のReview of Audiovisual Art STREFAのコンサートにパウエルを誘ったんだ。マリウズは僕のいとこで子供のころから知っているんだ。マウゴジャータは僕の妹で、アグネシカは妻だ。トメックは最近「ゲット」したメンバーだ。実は何ヶ月前は最高なファンだったけどね。
*二年に一回開催されるポーランド最大のコンピューターアートフェスティバル
パウエル:
そうだね、、ヤレックと始めて会ったのは97年か99年のWRO Media Art Biennaleだったね。おなじ地域から来たのに会ったことがなかったというのが不思議だよね。マルタ(マネージャー)はヴロツワフでのカンフー授業で会った。マリウズは多分ライブで会った。後はよく覚えてないな。ごめんなさい。(汗)
●皆さんは小さい頃はどんな子供でしたか?また、どんな家庭に育ちましたか?
トメック:
僕はとても大人しい子だった。屋根裏部屋でよく遊んでいた。小さい町で育って、近所の友だちと一緒に家の回りで遊んでいた。自転車に乗ったり砂遊びしたり。あと森に行ったり川岸で木登りしたり堤防を築いたりして遊んでいた。ずっと前から家には猫や鶏がいたね。庭にはリンゴ、ナシ、さくらんぼう、梅とかの木があった。もうちょっと大きくなってきたらバスケット始めて練習でケガしちゃって、散々おふくろに健康のことを言われたよ。
パウエル:
基本的に陰気で貧しい環境だったね。でもこういうポーランド式の共産主義社会に囲まれていると、意外となんでも面白いんだ。僕の近所に住んでいた若いやつはへんなことばかりに興味持っていた。例えば高電圧変圧器を基盤とした電気楽器を作ったり。変圧器は作業中低い音を出すからこれはスピーカーなしで作った。始めてのセッションで町中の発電所へのコネクションを停止しちゃったんだ。家ではもっと簡単だった。「Sonda」という技術促進というテーマのおもしろい国営テレビ番組があったんだ。あの番組で「コンピューター」という言葉をはじめて知った。でも家電製品のなかで おもちゃより好きだったのはテープレコーダーだ。コンパクトカセットが出てきた前は家に大きいスプール式のやつがあった。あとはラジオの波長整調器とグラモフォーンが好きだったね。音が出るから。あと僕にとって大事だったのは「エレクトロニカ」というロシアの会社が作っていたゲームだ。この会社はまだ存在しているかわからないけど。不様であまりよくできてないゲームだが、今でも手にコンソールを持つ感覚をよく覚えている。
マウゴジャータ:
22年間弟と二人で14平方メートルの部屋で育ったわ。そんな生活だったから、コンピューターとかゲームに興味持ったのは不思議じゃないわ。私が一番好きだったのは「Giane Sister」と「TheLemings(レミングス)」。暇なときは今でも「The Lemings」をやっているわよ。音楽の趣味はお兄ちゃんから渡されたわ。年上だからいつもお兄ちゃんが聞く音楽を選んでいた。
●音楽を作る上で自分自身に大きな衝撃を与えた、何か印象的な経験はありますか?
トメック:
僕はずっと前からコンピューターが好きなんだ。ヴロツワフ大学のコンピューターサイエンス研究所で修士号をとったんだ。今はインターネットアプリケーションのプログラマーとして働いている。たまたまコンピューターで音楽を作りはじめた。主にパソコンはグラフィックやウェブサイトを造るために使っていたし。Gameboy Advanceコンソールとその音を造るソフトに興味持ったのは一年前ぐらいかな。最初はGameboyzz Orchestra Projectの手伝いで独自の音楽ソフトを造って、結局は自分の音楽も造りはじめた。バンドメンバーのサポートとある程度の訓練でGameboyzz Orchestra Projectに加入できた。
パウエル:
僕は10年前は工場のコンベヤーベルトでポーランド産の部品を造っていたよ。かなりつまらない仕事だった。アンプ、チューナーやテープレコーダーのホームエレクトロニクスの音楽製品を造っていたんだ。この製品は古い技術に基づいて生産されていたのでデジタル要素やチップは付いていなかった。トランジスターだけだ。僕の役目は製品の質をチェックする事だった。でもこの工場で生産されていた製品は色々と問題があったんだ。僕は、ヘッドフォーンを着けながら、沈黙、あるいはただへんな「ピコピコ」や「ピッピッ」とかの音をずっと聞いていたよ。
●あなたたちが18歳から22歳くらいまでのポーランドはどんな感じでしたか?国内で
なにか印象的な出来事はあった?
パウエル:
多きな変化が起きていた時期だったね。僕は故郷からヴロツワフに移ってきたから個人的にも色々変わっていたときだった。ヴロツワフは故郷より大きくて、もっとおかしくて、もっと面白かったんだ。なんかおもしろい話あるかな...そうだな、宣伝がパブリックスペースに潜入しているのが理解しにくくかったね。今は不思議じゃないけど、昔の政治体制だった時は、ポーランドには宣伝なんか殆どなかったんだ。あと、おもしろいのは、大学ではネットワークが繋がっていて、各パソコンにはメールできたけど、インターネットには接続されていなかった。だから、メールはその部屋にあるパソコンにしか送れなかったんだ。あれはおかしかったよ!
●著作権について指摘された事はありますか?
マルタ(マネージャー):
いいえ、著作権の問題は今までなかったわ。問題が起こる理由も根拠もないから。私達が使っているソフトは合法よ。Nanoloopの制作者がスポンサーだし、LSDJはずっと前にライセンスと一緒に買ったわ。EUでは30秒以内のサンプルを使ったり、リミックスして模造作品を造ったりするのは合法なの。でも私達はもう色々なアイディアがあるからゲームのサンプルとかは使わないわ。著作権問題は慎重に扱っているし、エンタテインメント法に基づいて活動しているの。
パウエル:
ポーランドの著作法は変わっているんだ。例えば特別な許可がなければ自分のレコードをプレスしたり売っちゃいけない。小さいレーベルを造ってレコードを流通したかったらCDのプレスを公認された印刷会社に任せなければいけない。だから僕たちは音楽をmp3ファイルとして流通している。この間フォーラムでSACD(Sony’s audio records format)に付いて意見をきかれた。ちょっと批判的なことを述べたらアクセスがブロックされた。フォーラムの管理者はポーランドのエンターテインメント業界と繋がっているからそうなったんだろう。彼らは新しい音楽流通の媒体を促進しているから無料公認mp3は大嫌いなんだよ。
次のページ











