映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」など、実在する人物に関するドキュメント作品を主体に製作している五十嵐監督のありのままの姿がここにある。
●17歳から25歳くらいの頃は、どんなことをやられていましたか?
I「前にも話したけど、22くらいは百姓やってたの」
●え!?そうなんですかー!?
I「お前、人の話聞いてないだろう(笑)!!長野県に川上村っていうにがあるんだよ、レタス作ってる。そこに半年間大学休んで行って、高原野菜作ってたの」
●大学休んで行ったんですか?
I「うん。それで、農家に泊まりこんで、レタス作ってた。本当は映画作りたかったんだ
けど。だから、悶々としてたよね。だって、毎日何百個っていうレタスを収穫したりしてたから」
●なぜ、映画を作りたかったのに、レタスを作ろうって思ったんですか?
I「昔は、とにかく何かやりたかったからねえ。今より20キロ痩せてたし。映画は前々から好きで観てたんだけど、(作りたくなって)もうどしようもなくなっちゃったの、じっとしてるのが。だけど、映画監督になるにはどうしていいか分からないじゃない。養成所もないし、誰も監督に知り合いなんていないから、自分で作るしかなかったの。それで、まずお金を貯めようと思ったんだけど、自分にはファーストフードのバイトとか合わないと思ったから、もう仕事をせざるを得ない状況に自分を追い込もうって思って。それで、東京から離れてて、泊り込みのところで働いて、映画の金を貯めようと思ったの。それで求人誌を見たら、長野県川上村八ヶ岳高原に、一日2500円でバイトがあったわけ。で、『これだ!』って思って、突然次の日行ったんだよ。そうしたら、僕が来る前に、4人辞めてるの、きつくて(笑)僕が5人目なんだよ!だから、向こうもすぐ辞めると思ってたわけ。でも、もともと土いじるの好きだったし、やるとさ、汗かくじゃない。それも、映画のためにやってるっていう意識があれば頑張れるんだよね。で、一日の計算が2500円でも、それこそすげえ田舎だから何も使わないわけじゃない。飯も食わせてくれるし。その代わり、朝の二時に起きて…」
●朝の二時ってことは、夜中の二時ってことですよね!?
I「うん、そう。それにカンテラを炭鉱夫みたいにやって、旦那さんと朝の五時に出発して、朝飯食べて、少し薬を撒いて、昼寝するんだよ。それで、今度は夕方の出荷して。そうしてるうちに、お金が少しずつ貯まってきてさ、どう映画を作ろうかって思うわけだよ。それが、22から23にかけてだから、結構ギラギラしてたと思うよ。それでね、そこに行って半年くらい経ったときに、旦那さんはここまで続くと思ってなかったから『これは、なかなか見所のある男』だと思ったのかさ、内緒でお見合いをさせられたんだよ」
●内緒で?内緒でお見合いっていうのは?
I「隣の家に、両親がいなくておじいちゃんおばあちゃんに育てられた女の子がいたの、27、8の。それで、そこのうちはキャベツ畑の結構でかいのがあったわけよ。それで、五十嵐は結構働いてたから、婿にすればそれを継げるからいいっていう話になったみたいなんだよ!俺は全然知らなかったんだけど。それで、うちに帰ったら一人女の子が待ってるわけよ。まあ、結構可愛かったんだけど…。それで、向こうは付き合うっていう気があって来てたんだけど、俺は全然分からなかったからさ。そうしたら、旦那さんがその夜に『どうだ?あの子と付き合ってみないか?』っていうんだよ(笑)」
●(笑)
I「俺は、そういうつもりで行ったわけじゃないんだけどさ!でもそういうのって、今考えると結構シナリオを書くときに役立ってるんだよ。やっぱり、人見るじゃない?東京から来た女の子が村の青年団にレイプされそうになった事件があったりとか、間違えて猟銃で撃たれたアルバイトとかいたわけ。それを、どうにか脚本で使えないかなとか考えてた。それで東京に帰ってきて、その金で8ミリで45分の作品を撮ったんだよ。そしたら、ぴあで長谷川和彦監督(『太陽を盗んだ男』等)が面白いって言って推薦してくれたの。そこから、『あ、(監督で)行けるのかな』って思って」
●一番最初の作品は、ドキュメントではなく、フィクションの内容だったんですか?
I「それは、自分の田舎で、自分が監督、製作、脚本、編集、あと自分が出てやったの」
●監督も出演されてたんですか!
I「そう。途中でキャメラだけ手伝ってもらって…。だから、もうごり押しだったんだよ。なりたくてなりたくて仕方なかったから。何とか手がないかなって思うわけじゃん。だから、結構その当時はいろいろやってたよね。何でこうあそこまで、人とケンカしたり、警察の世話になったりしてたのか、今では考えられない(笑)」
●(笑)
I「とにかく這いつくばってさ、見てろよ見てろよって思うわけじゃない。何で大学出てこんなことしなきゃいけないんだって思っててもさ、絶対映画監督になってやるって思ってたわけだよ。まあその時にはさ、何でもありだと思ってたんだと思うよ」
●なるほど。
I「今でも覚えてるんだけどさ、だんなさんに銭湯に連れてってもらってさ、子供が三人いてさ、その時あまりにきつくて鼻血が止まらなくなっちゃったの、本当に。おしっこも血が出ちゃってさ。こんなの初めてだったから、家族の人が看病してくれたの。それが、すげえ嬉しかった。それでね、面白いんだよ、最後の月のギャラをさ、二倍くれたの。(だんなさんは)そういう人じゃないないのよ、今まで4人も辞めてるんだし。その時に、最後の給料袋を見たら二倍だったの。それが、すげえ嬉しかったな」
●その時のだんなさんは、五十嵐監督が映画を撮るために、そこで働いていたことを知ってたんですか?
I「知ってたよ。今でもさ、スーパー行ってレタス触ると分かるんだよ、おいしいレタスっていうのが(笑)」
●そもそも、映画を撮ろうと思ったきっかけっていうのは何だったんですか?
I「うちの親父が、俺が8歳の誕生日の時に、誕生日プレゼントにさ、映写機買ってくれたの。クランクがついてて、中にフィルムが入っててさ、クランクをまわすとボールが大きくなったり小さくなったりアニメが見れるんだよ。それが、すげえ印象に残ってたの。小さい頃に与えられたおもちゃって、やっぱりすげえ影響すると思うんだよね。うちの親父が映画が好きで、サントラ盤とかいっぱいあったから、子供ながらに映画が好きで。だから何となく、映画監督になりたいって思ってたのかも知れない、その当時から」
●監督の作品についてお話したいと思うのですが、実在の人物をテーマにした作品が多いのはどんな意味があるんですか?
I「実在の人物でもさ、嫌いなやつは撮れないから。やっぱり、嫌いなやつでもさ、どこか好きなところを見つけないと撮れないんだよ。全部嫌いだったら、映画作る気まったくない。やっぱ、映画ってさ、色は変わるけれどもちゃんと保存すれば200年とか残るわけ。俺が作ったやつっていうのは、子供に見せられるんだよ。自分が死んでも、『お父さんがこの映画を撮ってる時に、僕が産まれたんだ』とか見れるわけだよ。ちょうど、うちの子は『HAZAN』の時の子と『アダン』の時の子と二人いるわけ。そうするとさ、その子が大きくなった時に、『この映画を作ってたから、自分はあんまり構われなかったんだ』って納得するわけだよ(笑)要するに、自分が生きたいたっていう証は、映画でできるんだよ。それと同時に実在の人物っていうのは、五十嵐が映画で撮れば、100年200年経っても、例えば泰造(『地雷を踏んだらサヨウナラ』の主人公で、実在のカメラマンであった一之瀬泰造氏)がアンコールワットに行くってことを映画から感じ取ることができるわけだよ。ただ、あんまりメジャーな人は面白くない。福沢諭吉とか野口英世とかになっちゃうと、まったく興味がないんだよね。波山(板谷波山。実在した陶芸家)なんで誰も知らなかったし、泰造もそうだけど、今やってる田中一村(実在した画家)とか、そうじゃない人たちを撮りたいんだよ。アートヤードと同じように、知られざる人なんだけど本物の人たちを」
●今まで取り上げた人たちの共通点というのは?
I「自分がやりたいことに、誠実に生きていること。アンコールワットが撮りたかった泰造は、最後カメラを取り上げられちゃうんだよ。カメラっていうのは、カメラマンにとって体の一部と同じなんだよ。それでも、『俺は、アンコールワットが見たいんだ』っていって、走っていく。そういうふうに、自分の生き方に誠実に生きているって人が、自分ではなかなかできないから、好きなんだよ」
●では逆に、なぜ監督はフィクションの作品と撮らないんですか?
I「いや、俺、次撮るよ。そのつもりでいる。もうね、実在の人物休みたいんだよ、いろいろあって疲れちゃって(苦笑)だから、次はフィクションを撮るつもりでいる。海外の監督で、ドキュメンタリーやって、フィクションの映画撮るっていう人、結構いるんだよ。例えば、イギリスBBCのアラン・パーカーなんかもそうだし、ドキュメンタリーやって、コマーシャルやって、映画に来る人って結構いるんだよね。それはやっぱり、ドキュメンタリーをやることによって、人の見方っていうか、人の生き方に深く切り込めるっていうのがあって、それで映画を作るっていうのは自然な流れだと思うんだよ。リドリー・スコットも前はドキュメンタリーやってたしね。だから、あんまりこだわらない。やっぱり、必ずどこに行っても『実在の人物を撮る』って言われるんだよね。でもさ、もっとさ、水みたいに器が変われば形も変わるようになりたいんだよ。変な形の器に水を入れれば、水だって変な形になるし、あんまりがちがちになりたくない」
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