この記事は、2005年1月に成安造形大学の構想表現クラスが主催で行った、ロンドン在住のアーティスト:サイモン・リー・クラークの講演会の一部を書きおこしたものです
サイモン氏は、英国在住のチューイングガムを使い絵画を制作したりするアーティストで、2004年度の吉原治良賞美術コンクール展でグタイ記念賞を受賞しました。2005年の1月29日から2月26日まで、大阪にあるCASでの個展の為、来日。それと合わせ、成安造形大学内での講演会が行われました。講演会の前半は、作品のスライドショーと彼自身が作品について語っています。学生からの質疑応答の後、後半はイギリスのアートシーンについての講演会になります。本紙で紹介するのは、前半の彼の作品についての事と、その質疑応答までの記録です。
キャンバスそれ自体が真実でなければならない
Simon(以下S): サイモン・リー・クラークです。ロンドンから来ました。今日は私の作品を色々観てもらおうと思っています。作品をつくるプロセスと、つくられる前のプロセスについてお話します。
今メインで制作しているのはチューイングガムを使った作品です。この作品(うら表紙写真)は全てチューイングガムです。まず僕が、チューイングガムを噛むわけです。抽象的な画面をつくる為に、色んな種類の匂いのするガムを噛み、伸ばしてキャンバスに貼ります。
何故、こういうことをするのかというと、抽象絵画の意味をもう一度考えてみたいという意図からですね。チューイングガムを何故使うのかというと、初めはシンプルなプロセスで作品をつくるかということを考えました。色んな素材や方法で、線を引いたり地図を描いたりしてみました。で、チューイングガムに辿り着いたんですが、実際に伸ばしたりすることもできます。この素材でやっている内に、チューイングガムには色んな可能性があるなと思い、今もこの素材による作品作りの可能性を探っています。ちょっとした冗談みたいな感じもあるんですが、チューイングガムで作品をつくることを思い付いたんです。
1997年頃、初期の作品ですがチューイングガムで伝統的な静物画も描いてみました。その次に素材の質を活かすような作品ができないか考えはじめました。その中で、チューイングガムをストレートに伸ばしてキャンバスに貼りこんでいくということが、チューイングガムならではの画面のつくり方に繋がるのかなと発見したわけです。チューイングガムを使った抽象絵画をつくっていく中で、特にアメリカの抽象表現主義のアイデアというものを再現してみた。それとアメリカの批評家のクレメント・グリーンバーグ、彼の理論をチューイングガムの方法で継承していきたいと考えました。
その中で考えた事は、絵画はキャンバスそれ自体が真実でなければならない、素材そのものに対して真実でなければならないと感じました。だから、そのチューイングガムに対しても、噛んでそれを伸ばすという事で素材そのものに対して正面から受け止めたいということです。
最初の頃の作品は小さいもので、水平線を描いていました。小さいチューイングガム絵画のインスタレーション作品を大学のスペースで発表した後1年間、チューイングガムの制作から離れていました。それからまた戻りまして、今はもっと大きなスケールの作品(約80cm四方)で、水平線ではなく、垂直線の作品になりました。今の私には、この垂直線の作品の方がしっくりきています。
私は色んなアーティストからの影響を受けています。先程も言いました、アメリカの抽象表現主義、それにイギリスのポップアートにも影響を受けています。
1990年代のはじめぐらいから、また新しいイメージが僕の中に生まれてきました。1990年代には、私が影響を受けたア−ティストたちがいます。彼らは、伝統的な方法をいかに現代でも継続できるかというのを追求したアーティストたちです。
ユーモアっていう要素が現代美術にとって非常に重要なんだ
私はロンドンのアトリエで、どんな風に展示をするかとかもシュミレーションしています。私は6〜8点の作品を同時に制作します。音楽の作曲する時の一小節毎につくってそれぞれの関係をつけていくような、そんな感じでつくっていきます。同じような作品に見えますが、関係を持ちながら、しかし、ひとつひとつは異なるわけです。
私の作品にとってはユーモアがすごく大事で、これもちょっとした冗談みたいな作品に見えますよね。私は特にユーモアっていう要素が現代美術にとって非常に重要だと考えています。それは、現代のアーティストたちの作品にもユーモアというのは活かされています。
でも、制作のプロセスを考えている時は本当にシリアスに考えています。いつもどうすれば違うチューイングガムの使い方ができるか、色んな事ができるかを考えています。毎日、毎日、自転車で走り回って新しいチューイングガムが売っていないか探し回っています。そしてアトリエの床はガムの紙で一杯です。
私の別のプロジェクトには「スパゲティのソネット」というのもあります。シェイクスピアに出てくるようなソネット(詩)ですね。スーパーマーケットでスパゲティを買います。それを絵筆を使って、まるで詩の中の文字のようにつくっていくのです。見た目にはインパクトのある詩のように見えるのですが、でもその中に本当の言葉は無いんです。それは、色んな言葉の部分を入れ替えて、別の新しい言葉にします。もちろん意味のない言葉なんですが、あえて、それで詩をつくるようにしています。でも言葉の並べ方は、あたかもシェイクスピアのソネットに見えるかのように、視覚的パターンを工夫して制作しています。形をマネする為に、行数や、行の中での音の数を調整して、文は発音しても意味は無いんですが、読んでみたらシェイクスピアのソネットの様に聞こえ、見える様に工夫しています。
意味は無いんですが、観る人はその中に意味を見い出そうとするんです。そういう風にして私は観る側を引き付けようとしています。無理矢理意味を見つけようとしたり、結局解らなかったり、そういう状態ですね。
この詩のある一部分については、ダダイズムの詩のつくり方に対して、私自身のオマージュなのです。ダダイストもやり方は違いますが、音から詩を作ったり、見た目から作ったりしていました。これらは、ダダイストたちがやったオートマティックなつくり方などに敬意を表している事なのです。
これらの私の作品は、「絵画っていうのは何なんだ」という思考に結びついています。確かに私は絵の具とかを用いません。日々の色んなものを集めて作品をつくっているのですが、私の作品は全て絵画にしようという考えで制作をしているのです。私はこの中にある種の美しさというものを見ています。例えば、普通の人からすると美の為の素材ではないものの中からそれを見つけようとしているのです。
私のプロジェクトに小さい(ダンボールくらいの大きさの)箱にギャラリーをつくって展示をするというものがあります。それで私は、楽しいアートシステムを作ろうという意図でやっています。
(※写真では普通の大きさのギャラリーに見えるように撮影しています。)
この情報を美術系のマガジンに掲載したり、そこで、有名なアートショーをみんなに開催して下さいと言ってみたりして、私も小さい作品をつくって見せてみます。すごく興味をもって、そのギャラリーで展示をしたいという返事を頂いたりします。何人かの人たちは、非常に素晴らしい作品の企画を持ってくるんですが、僕はその人たちに「本当に小さなギャラリーなんですよ」
と返事を書くんです。それを本当に面白がる人もいますし、そんな話かと引く人もいます。
その小さなギャラリーに作品の展示をしてもらって、それをロンドンの中心街にあるコークストリート(ロンドンでもギャラリーが集まっているストリート)、その商業画廊が並ぶ一番大きな目抜き通りに持っていき展示するのです。以上が私の最近の主だった仕事です。
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