●よろしくおねがいします。では、はしもとかよさんとして活動されるようになったいきさつを教えていただけますか?
あ、よろしくお願いします(笑)。 19歳で京都に移り住んできて、ギター一本で作詞作曲を始めて、そこから、即、ステージに立ってました。 芸名の“はしもとかよ”は、本名の橋本賀代をひらがなにしただけです。
●ライブでも口笛などを効果的に取り入れた楽曲が印象的でしたが、インスト曲とVo曲どちらにもカントリーやトラッド・フォークロアな雰囲気が出ていますよね。はしもとさんの一番大事にしているキーワードは何でしょうか?
アコースティックです。電気を使う必要のない、音楽。カントリーであったり、フォーキーであったりするのは、たまたまです。
●曲作りの過程はどのような感じでしょうか?アイデアを溜めておいたりすることはありますか?
あんまり考えたことないですね。作ろうと思って作ることが多いかな。ネタ帳とか作ってもあまり長続きしないし、作ってもやたらネガティブな言葉しか出てこないし。 まず、ギターで好きな和音を探っていって、それにリズムを付けていって、何日かかけてMDとかに残したりしながらバッキングを作っていきつつ、メロディーが勝手に精錬されてきて、歌になるなら歌になるし、インストになるならインストになります。このときのインストメロディーが口笛になることが多いです。 歌詞に関しては毎回苦労してます。歌詞が出来たらBメロを増やすし、出来ないならBメロのない曲にしよう、とか、そんな感じ。だからシュールな曲が多いのかな。対照的にやたら完成度の高いポップスが出来たりということもあるけれど。
そういえばここ1年ぐらい歌ものを作っていない。 でも、本当は、作ろうとする以前に、自分がどういう状態の自分であって、それをアウトプットするためのスペックをどれだけ携えていられるかということが重要であって、つまりは音楽を作る自分というものを毎日作っているということが言えるわけです。要するに、音楽は日常生活の副産物だと。
●なるほど。では、楽器についてお伺いします。現在お気に入りの楽器や機材など、愛用されているものについて詳しく教えていただけますか?
使用楽器については、saffordの赤いエレアコです。完全見た目重視で(笑)、10年くらい前に購入。弾き始めてから数年経ったある日から、いきなり鳴りが良くなりました。ちなみにエレアコですが、ライブでライン録りすることは稀です。 私はよく宅録もするのですが、それに関しては4trのテープMTRを使用しています。 やり始めの頃はFOSTEXのを愛用してましたが、今はTASCAM。TASCAMの方は、多分もう出回ってない型なんじゃないかな。 今は安くて扱いも簡単なデジタル機材が多いのですが、アナログで録音すると、音像が深くて太いので好きです。音源に、キラキラしてクリアな感触は今のところ求めていないし、これしか持ってないというのもあります。まぁ、ミックスの段階では否応なくデジタル処理にはなってしまいますけど。
●ところで、貴方が影響を受けたアーティストや、音楽遍歴について教えてくれますか?また、インスピレーションを受けるような、現在注目しているアーティストなどはいますか?
どうやったかな、もう、ほんとに小さいときから音楽はずっとやってて、幼稚園の卒業アルバムには、将来の夢に“かしゅ”と書いてました。 小学校でピアノを習い始めて、3年ぐらいでやめて、そして自分でJ-POPの好きな曲の楽譜を買ってきて弾いてたので、音楽関係の学校行事では必ずピアノの伴奏担当になってました。ちなみに昼休みや放課後の音楽室で、よくグランドピアノを弾きたくってるような子でした。 ちなみに私はサイドユニットとしてこっそり、CLEVER CHERRYというひとり宅録ユニットをやっているのですが、それが学芸会サウンドを目指していて、その原型は小学校の時にやっていた合奏隊と鼓笛隊です。
で、ずっとピアノはひとりで続けてたんですが、家の事情で高校生ぐらいから弾けなくなってしまって、そのタイミングでたまたまギターが手元に廻ってきて、あぁ、面白いなぁ、自分の部屋で弾けるし、と思ってそこからギターを弾き始めました。それが、いつやったかな、17歳の冬やったかな。で、路上でやってみたり色々してるうちに進学。本当は美術系に行くつもりだったのですが、諸々の理由があって文系に転向。京都に住みたいと思っていたので、4年間京都市内に住める大学ということで、立命館大学を受験しました。
そして大学に入って、バンドシーンの右も左もわからなかったので、ロック系のサークルに在籍してみたり。京都系がもてはやされてた頃ですね。でも、私は元来、人と一緒に何かを作ることに向いてなかったようで、あんまり長くはいなかったな。さっさと一人でやっちゃうんです、なんでも。だから、あんまりバンドという形を求めていない。でもこの時に出来た人のつながりに関しては、かなりすごいです。今でもみんな、すごくがんばってる。 大学に入って作詞作曲を始めて、夏ぐらいから拾得とかでステージに立つようになって、冬ぐらいからは難波ベアーズをはじめ、京都、大阪でライブをやりまくってました。
特に誰かが好きで、何かを目指して音楽をやってるわけではないです。自分の中にあった才能を全て組み合わせたらこういう道に来ていた感じ。たぶん、これ以外に、ない。 でも、京都に住んで本当に良かったと思うのは、本物の才能を持っている友人がたくさん出来たということ。私は大型レコ屋も嫌いだし、野外フェスにも行かないし、TVやラジオも聞かないのですが、いつでも友人がどこかでライブをしていて、そしてそれに遊びに行って、たくさん刺激を受けて帰ってきます。友人の音楽が、大好きです。ちなみにジャンルはアコースティックをはじめとして、ロック系やエレクトロ等雑食です。
あ、でもそういえば中学、高校の時はJ-POPを端から端までチェックしていました。千葉TVで夕方にやってるプロモ番組を欠かさず見たり、音楽系雑誌は発売日の朝に買ったり。洋楽にはあんまり興味はない方でしたね。
●最近行ったライブや音楽活動の中で印象にのこっているエピソードなどがありましたら教えていただけますか?
なんやろ、細かいのは日常茶飯事なので、ちょっと遡って。私は実は25、26歳と、腱鞘炎とその他諸々の理由のために活動休止をしていて、まぁ、普通は一番脂が乗るような時期なわけですが、そこで自分が一番愛している音楽活動と言うものにおいて一時中断を決断せねばならないような状態になったわけです。
あまりにも自分が関西アンダーグラウンドに染まりすぎてて、京都・大阪を行き来して数人、数十人単位のお客さんの前にいる自分と、それを日本全体のシーンの一部として見た場合の自分と、世界のシーンの一部として見た場合の自分の値段(言葉は悪いけど)が全くわからなくなって、一旦距離を置こう、と思ったのがまずあります。その時の自分の状態として、音楽的な技量や知識が全く足りてないということも感じていたので、腕の休息期間を取りつつ、音楽理論をガリ勉したりしてました。ギターの弾き方が、腕に負担の少ない指弾きメインになったのもここからです。
あと、精神的な部分で成長しないとこの先に進んでいけないな、というのも強く感じていて、人に対する強い嫉妬心をコントロール出来るようにしたのがこの時期です。競争心を基にして音楽をやるのは、もうやめようと。そうしないときっとこの先進んで行けないだろうな、と思ったのです。 そして2年ぶりにひょっこりアングラに戻っていったら人の入れ替わりがだいぶあって、知ってる人は知ってるけど、知らない人がいっぱい、みたいな。なので、かなりフレッシュな気分で新しい音楽と人の出会いを楽しんでいます。
●はしもとかよさんのこれからの予定や動向などについて、お聞かせいただけますか?
しばらくライブはやりません、宅録に専念します。出来れば、はしもとかよ名義のものと、もうひとつ、別ユニットのも仕上げられればな、と。どれくらいかかるかはわかりませんが。でも、ものすごくやりたいライブ等については、レコ中であっても気持ちに嘘はつかずに、やらせてもらうと思います。 リリース等についてはまだ未定です。
●では、最後にArt Yard informerの読者に向けてメッセージをお願いします。
インタビューを読んで頂いてありがとうございます。いつかライブ会場でお会いできる日を楽しみにしています。応援してください。
>> はしもとかよ Myspace Music http://www.myspace.com/hashimotokayo
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